宮崎駿の「覚悟」
『ふたり』
(コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗)
観る。
製作途上の正に只中に「3・11」
その「混乱」の中で「スタッフ会議」が開かれる。
結論は「4日間の(とりあえずは)休み」
それを聞いた宮崎駿、烈火のごとく、心底から、怒る。
「生産『現場』は離れちゃだめなんだ!」
「(百歩譲って、それなら)来れる人が来ればいいんだ」
「それだと現場が混乱する」(プロデューサーS)
「何が混乱するんですか!(怒)」
「封切りに間に合わすためにみんな一生懸命やっているんだ」
「生産点を放棄しちゃいけないんですよ」
「(大事なのは)こういう事態が起こったあとの日本に耐えられる映画が作れるかどうかなんですよ」
※結果、「決議」は覆され、作業時間を変更(主に「夜」(中)~「計画停電」を避けて)して「休みなし」(ある意味「通常業務」)となる。
(製作進行(?)記者会見)
「寒さに震え、飢えに震えているたくさんの人がいます。
放射能に震え、その前線で働いている人たちがいます。
その人たちに感謝いたします。誇らしく思います」
「この困難に立ち向かっている人へ、何かの支えになれるとしたら嬉しいですね」
ある(日常)現場での「吐露」
(完成に向け)「先頭を切ってやらなきゃ(だめだ)」
「死ぬ気でやるんだ」
「自分の人生のためにやるしかない」
「(その道を)選んできたんだから」
(吾朗さんにメッセは?)
「少しはこっちをおびやかせって。ただそれだけです」
(吾朗)「クソっ!死ぬなよ」→エンディング。
それにしても、正に「『釘付け!』ドキュメント」だった。
「映画」観てからで良かった。
「その逆」もあるけどね。
「観てから読むかor読んでから観るか」的な。
以上、本日夜中に打ち込んだ、連続「ツイート」(×5)のまとめです。
(若干の編集あり)
途中までは、『コクリコ坂』の「復習」みたいな感じで、気軽に見ていましたが、
「3・11以降」からの宮崎監督(怒りの)シーンで背筋が伸び、、、
「表現者の覚悟」がひしひしを伝わってきて、胸が熱くなりました。
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