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2011年8月

2011年8月22日 (月)

9月のスケジュール

1(木)柳家〆治(落語)♪(20) バースデー「いんえふ落語会『10周年記念』」&「店主誕生日」富士山
2(金)電球深水郁(vo、p)翠川敬基(vc)♪(25)
3(土)小美濃悠太(b)瀬田創太(p)永山洋輔(ds)♪(20)
4(日)電球吉見征樹(tabla)tomoca(oboe)ハクエイ・キム(p)♪(30)
5(月)電球さがゆき(vo)Miya(fl)♪(28)
6(火)西山瞳(p)市原ひかり(tp)♪(28)
7(水)鬼怒無月(g)黒田京子(p)♪(28)
8(木)坂本千恵(p)岩佐真帆呂(sax)♪(20)
9(金)坂本彩(p)松岡俊輔(b)今村健太郎(ds)♪(15)
10(土)『ジャム・セッション』坂本千恵(p)店主(b) ※ヴォーカルも可。7時スタート☆ 第二土曜日開催。
14(水)電球川島佑介(ds)須藤信一郎(p)澤田将弘(b)♪(20)
15(木)電球喜多直毅(vn)向島ゆり子(va)翠川敬基(vc)♪(30)
16(金)栗林すみれ(p)角田隆太(b)♪(20)
17(土)木村秀子(p)西田けんたろう(vn)土村和史(b)♪(25)
18(日)電球イーヨ(vo)不破大輔(b)中島さち子(p)♪(30)
19(月)橋爪亮督(ts)馬場孝喜(g)♪(25)
20(火)安楽桃子(vo)坂本千恵(p)小美濃悠太(b)坂本貴啓(ds)♪(15)
21(水)米田裕也(sax)兼松衆(p)♪(20)
22(木)電球音川英二(ts)河野啓三(p)西嶋徹(b)安藤正則(ds)♪(30)
23(金)坪口昌恭(p)永見寿久(b)安藤正則(ds)♪(30) ※バド・パウエルに捧ぐ☆
24(土)9月の『酒の会』♪(50)
26(月)電球市原ひかり(tp)瀬田創太(p)角田隆太(b)川島佑介(ds)♪(25)
27(火)電球山田穣(as)阿部篤志(p)♪(28)
28(水)パート・シーガー(p)工藤精(b)池長一美(ds)♪(35)
29(木)類家心平(tp)山田貴子(p)鉄井孝司(b)吉岡大輔(ds)♪(30)
30(金)電球常味裕司(oud)tomoca(oboe)♪(28)

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2011年8月21日 (日)

宮崎駿の「覚悟」

『ふたり』
(コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗)
http://bit.ly/qaGe9H
観る。

製作途上の正に只中に「3・11」
その「混乱」の中で「スタッフ会議」が開かれる。
結論は「4日間の(とりあえずは)休み」
それを聞いた宮崎駿、烈火のごとく、心底から、怒る。
「生産『現場』は離れちゃだめなんだ!」

「(百歩譲って、それなら)来れる人が来ればいいんだ」
「それだと現場が混乱する」(プロデューサーS)
「何が混乱するんですか!(怒)」
「封切りに間に合わすためにみんな一生懸命やっているんだ」
「生産点を放棄しちゃいけないんですよ」
「(大事なのは)こういう事態が起こったあとの日本に耐えられる映画が作れるかどうかなんですよ」

※結果、「決議」は覆され、作業時間を変更(主に「夜」(中)~「計画停電」を避けて)して「休みなし」(ある意味「通常業務」)となる。

(製作進行(?)記者会見)
「寒さに震え、飢えに震えているたくさんの人がいます。
放射能に震え、その前線で働いている人たちがいます。
その人たちに感謝いたします。誇らしく思います」
「この困難に立ち向かっている人へ、何かの支えになれるとしたら嬉しいですね」

ある(日常)現場での「吐露」
(完成に向け)「先頭を切ってやらなきゃ(だめだ)」
「死ぬ気でやるんだ」
「自分の人生のためにやるしかない」
「(その道を)選んできたんだから」

(吾朗さんにメッセは?)
「少しはこっちをおびやかせって。ただそれだけです」
(吾朗)「クソっ!死ぬなよ」→エンディング。

それにしても、正に「『釘付け!』ドキュメント」だった。
「映画」観てからで良かった。
「その逆」もあるけどね。
「観てから読むかor読んでから観るか」的な。

以上、本日夜中に打ち込んだ、連続「ツイート」(×5)のまとめです。
(若干の編集あり)

途中までは、『コクリコ坂』の「復習」みたいな感じで、気軽に見ていましたが、
「3・11以降」からの宮崎監督(怒りの)シーンで背筋が伸び、、、
「表現者の覚悟」がひしひしを伝わってきて、胸が熱くなりました。

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2011年8月18日 (木)

原尞に於ける「フィクション」と「ノンフィクション」

Photo

原尞(私にとっては、未だに「原さん」なのだが)の諸作を読むときには、 
是非、地図帳を片手に読まれることをお勧めする。 

「原~沢崎」ちょっと前から、気になることがいくつかあって、 
「再読」あるいは「拾い読み」をしている。 

とにかく、そこに出てくる、地名町名は、フィクションとはいいながら、そこはほぼ見事に「ノンフィクション」なのである。 

例えば『愚か者死すべし』の(単行本)「第24章」p.236後半部分はこうだ。 
※今日読んでいたので敢えて。 

(編集あり) 
 設楽祐実子の携帯電話が鳴り、彼女はすぐに出た。 
「もしもし・・・ええ、ちょっと待って下さい」彼女は私に訊いた。「五日市街道に入っていますか」 
「ええ、間もなく成田南三丁目の信号だ」 
 彼女がそう伝えた。「ええ・・・すぐに、宝昌寺川を渡る橋があるんですね・・・その橋を渡ったらすぐに左折して、川にそった脇道に入る・・・入ったところですぐに停止する・・・わかりました」 
 指示どおりに、橋を越えたところで左折すると、私はブルーバードを停止させた。 
 左手は川で、右手には緑地がひろがるこの停車地点は、この時間にはほとんど車の侵入もなく、周到に選ばれた場所であることが推測できた。 

「成田南三丁目」→○「成田東三丁目」 
「宝昌寺川」→○「善福寺川」 
※橋の先に「宝昌寺」は実在。 

以上が「ほぼフィクション」たる所以。 
しかし、この地図を見よ!である。 
停車地点が、モロジャストで「特定」できるのである。 
この地点は「ノンフィクション」だ。 
http://bit.ly/nmzG2G 

カーチェイスシーンなどは、地図帳脇にが必須である。 
コーフンすること疑いなし☆ 
読者諸氏の健闘を祈る。 
(どうやら「原尞文体」が乗り移ったようだ、、、)

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『1971年フォークジャンボリー』と私

Img_1025

今月は、さりげなく「標記の隠れキーワード」で、
「俺の中のジャンボリー71年」を総括するべく、
「あの場」に出た方々に登場していただきます。

皆様のお越しをお待ちしております。

8月
7(日)☆三上寛(vo、g)喜多直毅(vn)♪(28)
9(火)☆カルメン・マキ(vo)桜井芳樹(g)清水一登(p)永田利樹(b)♪(35)
クリップ「カルメン・マキ70年代を歌う~デビューからカバーまで~」
25(木)☆不破大輔(b)渡辺勝(g、vo)川下直広(ts)♪(30)
30日(火)小室等(vo、g)ソロ♪(30) 
クリップ「小室等『1971年』を語る・歌う」
(1stアルバム)『私は月には行かないだろう』『フォーク・ジャンボリー』『出発(たびだち)の歌』などなど。

※1971年『フォーク・ジャンボリー』は、7月7~9日の予定だったが、
8日夜(10時頃)メインステージ「占拠『事件』」が起こり、、、、
9日は「幻」に終わった。
中津川フォーク・ジャンボリーはこの年(第三回)で終焉。

皆さんの参加形態。
「三上寛」~ソロ。
「カルメン・マキ」~『竹田和夫とブルース・クリエイション』がバックバンド。
「渡辺勝」~『はちみつぱい』(鈴木慶一、渡辺勝、本多信介)として。
「小室等」~『六文銭』として。

カメラ
『71年フォーク・ジャンボリー・ライヴvol.1』裏ジャケ。
真中右端の「赤シャツ」が私。高2。
両サイドの友人二人と前日から泊まり込みで参戦☆
この時の「録音」(オープン・リール!)と「写真」で、
秋の文化祭にて『フォーク・ジャンボリー展』ぶち(でっち?)上げる。

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