阿部薫のこと
「ミクシー」『in F(インエフ)コミュ』のレス
http://mixi.jp/view_community.pl?id=129789
♪○×さん
いつも遠方よりのご参戦、ありがとうございます。
「エフピアノ」「お客さんとの交流」
感じていただけて嬉しいです☆
阿部薫との「共演」は(以前の記述と重なりますが)
法政学館でマンスリーでやっていた(学館事業委員会・自主企画)
『ニュー・ジャズ・シンジケート』(1974年~80年。私「第一回」から「最終回」まで参加)
で数回。
(何回かは不明。3回以上は記憶あり)
私たちのユニットに「乱入」2回。
『荻窪グッドマン』
(初台)『騒』(がや)
(1977~78年かと。その前の可能性も。記憶曖昧。失礼)
当時のメンバー(『シンジケート』の中心メンバーでもある。「音楽監督」は原尞)
宮内俊郎(ds)と阿部が親しかったため、
ぶらりと訪れたものと思われます。
(と言うか「確信乱入」)
アルトサックスの他、
『シンジケート』での「ドラム」
『グッドマン』での「ピアノ」
『騒』での「ハーモニカ」
(あるいは、その入り乱れ)
が強烈な印象として、未だに脳内ループしています、、、。
そして、とりわけ、アルトの「疾走感(スピード)」たるや
葬儀に参列させていただきましたが、
そこには、坂本九さんの献花がありました。
(本名は「坂本(薫)」なのです) 『ウィキ』より
http://
「阿部は坂本九の甥である(坂本は母の弟)」
そして、
「最後の公演にトリオとして日野晃がドラマーで参加していた」
これには仰天です!
彼は、現在「武術家」として著名な方で、
「(フリー系)ドラマー」として活躍していた、ことは知っていましたが、
その「阿部の最後の公演」に参加していたとは!
恐れ入谷の、、、でございましたm(__)m
「70年代フリー・シーン」は、何かの折、
「虚構」=「小説」として形にしたいとずっと思っているのですが、、、。
つい長くなりました。
と言うことで、
またお待ちしております。
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