南ア、一つの「現実」~少女とレイプ「問題」
明日をひらく女たち~『少女の声なき叫び』(原題:ザ・ロスト・ガールズ・オブ・南ア)。胸が痛む、などと言う形容などは一蹴&無力と化す「現実」に立ち尽くす。ビニール袋に紙(布?)を入れたサッカーボールでミニゲーム(正にストリートサッカー!)に興ずる子どもたちの無邪気な笑顔に涙(1)
「そこ」は、ポートエリザベスなのだが、あのワールドカップの会場になった街でもある。この路地裏と「子どもたちの現実」(置かれている状況)を見ていると、あの大会は「何だったのか!?」とうなだれてしまう、、、。「ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム」と言うのがまた「皮肉」だ(2)
そして、10代後半に刻印された「この問い」が浮かんでくるのだ。「飢えた子どもの前に文学は何ができるのか?」(サツトル)当然「直接的」にはできないわけだが、、、。例えば「戦場カメラマン」が「射殺の現場」に遭遇した時、シャッターを押すのか!?と言う「問い」にもクロスするだろう(3)
「ちょっと魅力的なインタヴュアーに愛想よくしようとして、うっかり「飢えた子供の前では『嘔吐』など何ほどのこともない」などと口走ったために…」(P.83) と言う「説」もある。『サルトルの晩年』(中公新書)西永良成。「真意」はどうあれ、その「言葉(問い)」に向き合うこと !(4)
※以上「ツイッター」まとめコピペ。
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