パーカー→ハンク・ジョーンズ
本日の「検索の森」
朝方、つぶやきましたが、「これ」にたまたまヒットしてしまいました。
「動くパーカー」は少ないのですが、「これ」は、初めて観ました。
http://
(1950年)
で、「リズム隊」が、
ハンク・ジョーンズ(p)
レイ・ブラウン(b)
バディ・リッチ(ds)
なんだか「これ」だけで凄いわけですが。
先日天寿を全うした、ハンク・ジョーンズ。
「逆算」すると、20年頃の生まれだよな~と思いつつ、
この時「何歳?」だったのかググりました。
出てきました。
「1918年」
なんと、パーカーより若いじゃありませんか☆
そして、この時、既に「30」は超えていたのですね。
『枯葉』に至っては「40」超。
ウーム、、、。
以下『ウィキ~』から抜粋(編集)
本名:Henry "Hank" Jones
関連辞書落穂ひろい
henry《俗》ヘロイン。
herb《俗》マリファナ。
ほんとかよ(^_^;)
ハンクとパーカーとの共演は、ジャズ映像史上最大の発見とも言われる『インプロヴィゼーション』(DVD映像)にも残されている。
この映像には、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルドなどスターの多くが集まっている。
※これが上記の『ゆつべ』
1957年。初来日。
ベニー・グッドマン楽団のピアニストとして。
1962年5月19日
ジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティで、マリリン・モンローが歌った有名な『ハッピー・バースデイ』のピアニストがハンク。
マリリン・モンローとは、LPでも共演している。
1959年からCBSのスタジオミュージシャンとしてテレビやラジオの仕事に従事。
安定した仕事と高収入を得た代わりに、75年までジャズ・ミュージシャンとしての活動は下火に。
1975年。CBS音楽部門の解散をきっかけに、ジャズの第一線に復帰。
もうベテランの域に入った58歳の時である。
その最初の仕事が、トニー・ウィリアムズ、ロン・カーターとの『グレート・ジャズ・トリオ』でのヴァンガード出演だったというから、まさに爆発的なカムバックである。
このときから堰を切ったように精力的な録音・演奏活動に取り組んだ。
※この記述は『ジャズ&オーディオ通信(from USA)』ブログより。
2010年2月28日。新潟市民芸術文化会館。
およそ900名のファンの前で、生涯最期となるピアノを演奏。
アンコール後も、会場の入り口に登場し、サイン会を実施。
200名近くの長蛇の列となり、すべてのファン一人ずつに声をかけ、握手し、サインを行った。
最後は「新潟」で「オチ」がついたかぁ~
改めて合掌。
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