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2010年8月 9日 (月)

「原爆」と「新潟」と「私」

『日本への原子爆弾投下』~抜粋(一部編集)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

1945年4月27日
「第1回(原爆投下)目標選定委員会」
日本本土への爆撃状況について、第20航空軍が
「邪魔な石は残らず取り除く」
という第一の目的をもって、
次の都市を系統的に爆撃しつつあると報告した。
東京都区部、横浜市、名古屋市、大阪市、京都市、神戸市、八幡市、長崎市。
次の17都市及び地点が研究対象とされた。
東京湾、川崎市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、広島市、呉市、下関市、山口市、八幡市、小倉市、熊本市、福岡市、長崎市、佐世保市。

5月10日-11日
「第2回目標選定委員会」
8月初めに使用予定の2発の原子爆弾の投下目標として、
次の4都市がはじめて選定された。
京都市:AA級目標
広島市:AA級目標
横浜市:A級目標
小倉市:A級目標

5月28日
「第3回目標選定委員会」
京都市、広島市、新潟市に投下する地点について重要な決定がされ、
横浜市と小倉市が目標から外された。
投下地点は、気象条件によってその都度、基地で決定する。
投下地点は、工業地域の位置に限定しない。
投下地点は、都市の中心に投下するよう努めて、1発で完全に破壊する。
これらの原子爆弾投下目標都市への「空爆の禁止」が決定された。
禁止の目的は、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようにするためである。

5月29日
上記の「目標」解除を受けて、「横浜大空襲」

6月14日
京都市が除外され、目標が小倉市、広島市、新潟市となる。
しかし京都への爆撃禁止命令は継続された。

7月20日
『パンプキン爆弾』による模擬原子爆弾の投下訓練が開始された。
「新潟地区」への「訓練」の一環として、「長岡市」に炸裂。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E7%88%86%E5%BC%BE

7月25日
トルーマン大統領が「原子爆弾投下」の指令を承認。
ハンディ陸軍参謀総長代行から、スパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官あてに、
「原子爆弾投下」が指令された。
ここで
「広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に、
8月3日頃以降の、目視爆撃可能な天候の日に『特殊爆弾』を投下する」
とされた。

8月2日
第20航空軍司令部が「野戦命令第13号」を発令。
8月6日、原子爆弾による攻撃を行うことを決定。
攻撃の第1目標は「広島市中心部と工業地域」(照準点は相生橋付近)
予備の第2目標は「小倉造兵廠ならびに同市中心部」
予備の第3目標は「長崎市中心部」

8月6日
広島市に『ウラニウム型原子爆弾』(リトルボーイ)が投下された。

8月8日
第20航空軍司令部が「野戦命令第17号」を発令。
8月9日、2回目の原子爆弾による攻撃を行うことを決定。
攻撃の第1目標は「小倉造兵廠および市街地」
予備の第2目標は「長崎市街地」(照準点は中島川下流域の常盤橋から賑橋付近)

8月9日
第1目標の小倉市上空が視界不良であったため、
第2目標である長崎市に『プルトニウム型原子爆弾』(ファットマン)が投下された。

8月11日
当時、特情部では、スウェーデンを経由して入手した、米国海軍のM-209暗号装置を用いた暗号解読も進めていたが、この暗号解読作業において「nuclear」の文字列が現れたのが8月11日のことであった。
当初軍部は、新爆弾投下に関する情報を国民に伏せていたが、広島や長崎を襲った爆弾の正体が『原爆』であると確認した軍部は、報道統制を解除。
11日から12日にかけて新聞各紙は広島に特派員を派遣し、広島を全滅させた新型爆弾の正体が『原爆』であると読者に明かした上、被爆地の写真入りで被害状況を詳細に報道した。
これにより、SF小説や科学雑誌等で近未来の架空兵器と紹介されていた『原爆』が発明され、日本が戦略核攻撃を受けた事を国民は初めて知ったのである。

なお、この原爆報道により、パニックに陥った新潟県は8月11日に、
新潟市民に対して「原爆疎開」命令を出し、大半の市民が新潟市から脱出した。
これは、新潟市も原爆投下の目標リストに入っているらしいという情報が流れたからである。
原爆疎開が行われた都市は新潟市のみであった。

「私注」
以上の理由により、新潟市は「大空襲」(そして『原爆』も)を蒙ることなく、「8・15」を迎えたのである。
「歴史」に「たられば」は無いが、
しかし、敢えて「逆イマジン」を巡らしてみる。
もし「第四の投下」が遂行されていたとしたら、、、。
今こうしている「私」の存在自体は「無」かった!?

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