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2010年4月25日 (日)

「同質の理」

―ブラームス 交響曲第三番第三楽章―
これ以上持ちきれぬ夜は<悲しさ>にそれ以上の<哀しさ>で答う


この歌は、そう、丁度20年前、
1990年の3月30日の「あること」が引き金になって、
私、しばし、「脳内短歌状態」
になった時に作ったものである。

当時、私は、高校の同級生・S川君と『SOS』と言う「同人誌」をやっていて、
その「第14号」に、「歌集」と言うことで載せた、その一首なのであった。
勿論、こんなに「歌が生まれた」のは、生まれて初めてのことであった。
それが何故「短歌形式」だったのか、、、と言う、、、。

『歌境の時』(159首)
『歌が生まれる時―『歌境の時』ノート』

上記「歌集」の、
Ⅶ. 『三月の桜』~Mさんの非在に対(むか)いて
所収。

「この辺の事情」を語っていくと長くなるので、後日を期したい。

で、日記の「タイトル」である。

この言葉を、初めて聞いたのは、先ほど調べたら、08年2月17日だった。
『N響アワー』に、日野原先生が出た時である。
そこで、どう言う「流れ」からかは忘れたが、、、
氏が「同質の理」と言う言葉を提出されたのだった。
「悲しい時には、敢て、また悲しい曲を聴くと、人は癒されるのです」
ま、そう言うようなことをおっしゃっていた。
このことは、私に引き付けて振り返っても、非常に頷けるものであった。

掲載歌は、ブラームスだが、
ある時は、ユーミンの、例えば、
『青春のリグレット』
だったり、
『夕闇をひとり』
だったり、、、。
(ユーミンには、かなり「お世話」になって(救われて)いる)

クラシックに戻ると、
今回、ある方へのお悔みの中で、
この「同質の理」のことを書き送ったのだが、
この度、咄嗟に浮かんだのが、
モーツァルト:『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(まことのお体)
なのであった。
この曲は、モーツァルトの「晩年」(死の年だ)、
亡くなる半年ほど前に書かれた、正に「絶唱」と言うに相応しい、
しかし、たった「46小節」の、正に珠玉の小品だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9

私は、この曲を、小学校の合唱団時代(4~6年)に歌った。
(ラテン語原語に「カタカナ」を振った楽譜で)
当時のN先生、よくぞ、この曲を取り上げて下さったものだと思う。
あの当時にして、
「何か、とてつもなく、深く、凛とした『祈り』」
と言うか、
言うなれば、「存在の哀しさ」とでも言うような「何ものか」に「触れた」のだ。
この体験は、ある意味で、私にとって、非常に重要な「原体験」だったのだと、
今にしてみると判るのである、、、。

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