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2010年3月10日 (水)

丸山眞男と漱石、そしてジャレット

『丸山眞男 音楽の対話』(中野雄)
天満敦子の音楽会(オール・ベートーヴェン・プロ)の後の丸山のコメント。
「(前略)
あなたは上手だし、並外れた個性をお持ちです。だから、演奏はとても面白い。お客さんあなたを聴きに来るんだし、あなたのヴァイオリン演奏に拍手を送っていますね。今はそれでもいいけれど、ぼくはあなたに何時の日か、音楽会のあと、お客さんの胸の中に、『ああ、今夜はいいベートーヴェンを聴いたな!』と言う感慨が湧き上がってくるような、帰り道で思わず『いいベートーヴェンだったわね』って会話が弾むような、そんな音楽家になってほしいんですよ」

『三四郎』(漱石)
与次郎の(三四郎に語る)『小さん論』
「(前略)
円遊も旨い。然し小さんとは趣が違っている。円遊の扮した太鼓持ちは、太鼓持ちになった円遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持ちは、小さんを離れた太鼓持ちだから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい」

先日、丸山を読了したのだが(11年前に買った本。ようやく読了たらーっ(汗))
その上記の箇所からの「連想」で、『三四郎』の当該箇所を思い出した。
そして、真っ先に演奏で浮かんだのが、キース・ジャレットのモーツァルト23&25番。
(1992年前後(?)。新星日本交響楽団の「定期公演」!。指揮者、、、忘れた)
「キースがどうのと言うより、モーツァルトが自然に立ち上がっていて、とても、素直ないい演奏だったなぁ」
としみじみかみしめつつ家路に着いたこと、今でも鮮明に思い出す。

そして、漱石に戻ると、
上記の直前に、様々なところで引用されている、超有名な「同時代に生きている幸せ・論」が語られる。

「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るもんじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な幸せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」

で、またちょっと戻って、
「キース・ジャレット モーツァルト」
と入れて某動画サイト検索してたら、こんなものが!
(私の)師匠と「duo」ですかぁ~。
これ、師匠のドキュメントから、とのこと。
DVDは、日本で出ているのか否か、、、。

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