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2009年10月26日 (月)

『遺作』への縁(道)

10月19日
レオン・フライシャー
@武蔵野市民文化会館・小ホール
※NHKの収録が入っていた。後日放映される模様。

1、バッハ:『羊たちは安らかに草を食み』(エゴン・ペトリ編)
2、同:カプリッチョ『最愛の兄の旅立ちにあたって』
3、同:半音階的幻想曲とフーガ
4、シャコンヌ(左手のための・ブラームス編)~無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より

5、シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番『遺作』

「人生」を感じる演奏であった。
まだ「余韻」が残っている、、、。
(フライシャー、当年取って「81歳」)

数日前、村上春樹の『意味がなければスイングはない』の中の、
『シューベルト「ピアノソナタ第十七番二長調」D850~ソフトな混沌の今日性』
を読んだ。
春樹らしい「嗜好」(1)と掘り下げ(2)、そして「結尾」のフレーズ(3)に感銘を受ける。

1、ユージン・イストミンをベストに挙げる。
2、15枚の聴き比べ。
(うち、6枚がLPと言うのも、なんだか春樹らしい)
3、「結尾」のフレーズ。
「(前略) そしてそのような個人的体験(ここでは「音楽を聴く喜び」・筆者注)は、それなりに貴重な暖かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。」

この一節は、先日亡くした「友の記憶」ともダブるものでもあった、、、。
(世界を)生きていく「燃料」としての「記憶(のぬくもり)」

これを読んで、「17番」が聴きたくなって、図書館へ行った。
しかし、肝心の「17番」が見事に(!?)「カンチャン(穴)」になっていて(16、18はあるのに)、
あきらめて、でも、ま、この際なので、「シューベルト・ソナタ大会」(まとめ聴き)にしようと思い、
その周辺を借りて来たのだった。
その中に、アファナシエフ『19、20、21』、リヒテル『21』、があった。
そして、全く「予習」と言う自覚なしに、コンサート前日は、閉店後、アファナシエフ「21番」を聴き終えて帰宅。
(ディスクもそのままに、、、)
そして、「当日」である。
当日の曲目、「バッハ」と「シューベルト」は覚えていたが、しかし、それが「21番」とは電球
プログラムを開いて、いや~驚きました!
これも「縁」なんだなぁ~としみじみ思いましたよ。
(前日最後に聴いた「曲」が、今日ここで繋がると言う、、、)

整理すると、
村上春樹『17番』→図書館『21番』→当日の曲目『21番』
※後で調べてみると、(両手、と言うか右手)「復活」のディスクに、この『21番』が採り上げられていた。
「勉強不足」で、失礼しました。

「追記」
後ろのお客が、演奏中にプログラムをガサガサやっていて、もぉ~むかっ(怒り)って感じ。
どうして、(敢てくくると)「オバチャン」は、何故、何時も「何かやらかしてくれる」のか。
特に、(これまた、敢て言うと)「ここ」は「その頻度」高し。
じゃあ、行くなよ!ってことなんだが。
「近い」もんで、つい、、、。
たのんますよ(懇願)
ちなみに、この日は「のど飴おばちゃん」
(演奏中にバッグから取り出し、がそごそやる人。始めから舐めとけよ!って感じですよ、全く)
居ませんでした。

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