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2007年3月30日 (金)

「インプロ」を巡る断章

17日の「流れ」より(補足的に)

「インプロ」とは「improvisationインプロヴィゼーション」(即興演奏)の略です。
「アドリブ」は「ad lib」。これまた「即興的に演奏する」
辞書によっては「=インプロヴィゼーション」としているものもあります。

じゃあ、なんなんだ、ということですが。

私は、「インプロ」を、割合、ジャズ的要素の希薄な「即興」
「アドリブ」を、ジャズ的(あるいは、タンゴ。インド。アラブ。等)要素の濃い「即興」
と使い分けています(厳密でない部分もありますが)
なので、いわゆる、何風でない(これはなんだ的)「即興」
とりわけ、「決め無し即興」を「(フリー)インプロ」と言うことが多いですね。

「決め無し即興」は、はっきり言って、先ずは「地図」がありませんし、
分け入っても分け入っても、先が視えてこない世界です。
ありがちなのは、単に「指が回ってます状態」な「自己撞着」です。
そこには、なんら必然としての「音楽」はありませんし、単なる「音の羅列」で終わってしまっています。
だから、単に「インプロやりました」と言うのは簡単で、誰でも言えるのですが、「問題」は、その「中身」なのです。

例えば、クラシックの物凄いテクニシャンが、「インプロ」の世界で「勝負」出来るかというと、そうはならないのです。
そして、また、別に、必然性のない人が、「インプロ」をやる必要もないわけです。
「インプロ」を演れる人が「偉い」わけでもなんでもないわけでして。
それは、逆に、例えば「クラシック的超絶技巧」が(それ自体は、凄いことだとは思いますが)、だからなんなんだ(人の心を打つとはなんだ)、ということにも通じます。

以上を踏まえ、
北村さんの、冒頭、そして、最後の「インプロ」は、見事に成立していたというか、
少なくとも、私の琴線を震わせました。
(はっきり言って、そうでない「インプロ」を沢山聴いていますし、、、)

最後に言えるのは、「インプロ」というのは、瞬時に、ちゃんと音を聴き、それを絶妙なバランスで返す、あるいは、ある時は返さない、あるいは、全く違う「局面」に持っていく、等々、様々な「音」の紡ぎ出し方の能力を持っているミュージシャンでないと、成立しないと言う事です。

敢て言うと「内的必然性」が、「先ずありき」なのだと思います。
そうじゃない、小手先の「インプロ」はご遠慮願いますね。

「未完」以下続く。
(続かないかもしれない、、、)

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